新しいブランクが出来ましたので試作・テスト、試作・テストの繰り返しでバタバタでした。
構想から約十年のいつかは作るであろうペンシルが完成しました。
十年間の妄想が一杯詰まっています。
ぼくがバス釣りを始めたのは1975年頃中学校1年生でした。
友達に借りた本のガングリップにキョ〜レツに反応しスピンキャストでコーモランやスピナー・スプーンを投げてました。
初めて釣ったバスは持ち帰り、庭で塩をかけて塩焼きにして食べたら、くそまずかったです。
だってウロコも取らずに焼きましたから。。笑
それから2年後に大きなバスが釣れて大喜び!
これが実は38cmなんです。。笑
でもこの頃は40cmを超えたら”ランカーバス”
今のランカーは60cmになってしまいましたね!
これがその時の魚拓。
バスは魚拓を素早く取って水槽で飼っていました。。笑
ABUのリフレックスで釣りました。
この年にBBLFCというクラブをを後輩(小学校6年生 笑)2人とつくりました。
この頃からモノの本でバスは ”ともだち”
大事にしよう!
リリースする時は傷口にマキロン シュッシュで。。
大人になってまたここで会おうねって。。
ぼくのタックルボックスには必ずバス用マキロンが入っていました。笑
この頃から ”ともだち” 意識が芽生え始めました。笑
それが今では”害魚”
元は1925年に政府の許可のもと、釣りと食用に(タンパク源)赤星鉄馬氏が芦ノ湖に放流したのが始まりと言われています。
増えたから”害魚”
ぼくの ”ともだち” が。。
漁師さん、漁協さん、自治体さん、理由はどうあれ駆除の仕方をもう少し考えてもらえないでしょうか。
電気ショックなんてやり方は一番、理想なのでしょうか。。
漁師さんたちの取りたい魚もたくさん死んでいます。
先日に行った西の湖はほんとにひどかったです。。
電気ショックをかけてもバスは殆んど浮いてこないそうです。。
死の湖状態です。
ぼくの西の湖の思い出も "ともだち” もみんな電気ショックです。
早く終わってほしいです。この問題。。
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